世界で初めての発達障害の手記「自閉症だったわたしへ」感想

こんにちは。三原たか です

自閉症スペクトラムをもっています

本が好きで、
発達障害の本を、
たくさん読んでいます。

今回はドナ・ウィリアムズの、
「自閉症だったわたしへ」を紹介します

とても素敵な本です

作者紹介

ドナ・ウィリアムズ

1963年、オーストラリア生まれ。

26歳のときに、自分が自閉症だと知ります。

1992年に「自閉症だったわたし」を発表します。

十数ヶ国語に翻訳されて世界的なベストセラーとなりました。

以後、自閉症に関する書籍を執筆しています。

執筆活動の他に、絵画、彫刻、音楽でも作品を発表しています。

2017年4月22日にがんのため死去しました。

内容

作者ドナ・ウィリアムズが、幼少から成人し、
自閉症者だと気づき、本を執筆するまでの物語です。

補足ですが、自閉症とは、
脳の作りが違うため感じかたや考え方に独特の特徴があることを言います。

ドナは自分が自閉症だと知らずに生きてきました。

「自閉症」という言葉は知っていましたが、その内容を知りませんでした。

自分に自閉症があてはまると知ったのは、26歳のときです。

図書館で精神・心理学の本を読んでいたときです。

それまでは、変わり者で頭がおかしい人あつかいされて生きてきた女性です。

本書の原題は「NOBODY NOWHERE」で、

「自分が誰でもなくて、どこにもいない」

という意味です。

周りの世界がガラスの壁の向こうにあるようにいつも感じています。

自分の居場所がずっとないと思ってい生きてきました。

物語は、ドナが生まれて初めてみた夢の記憶から始めります。

生まれたときから、彼女は自分のルールで世界を見ています。

特異であることから、母が望む理想の娘ではありません。

その結果、毒親といえる母や父、家族から冷遇されます。

また小、中、高と学校に上手く馴染むことができません。

まわりからは頭がおかしいと思われます。

そう思われるだけの、奇行をドナはします。

耐えられなくて、一度は学校をやめます。

それでも、どうにか学校に復学し大学を卒業します。

その過程で、様々な男性と付き合い、別れたりします。

ときには、身勝手な男性に傷つけられることもあります。

そうして生活していく中で、あるとき自分と同じ世界にいる男性と出会います。

その男性はドナと同じ世界にいる人でした。

自閉傾向をもった男性でした。

ドナは自分と同じ世界を持つ人がいることを、知りました。

その男性とわかちあったことを書きたいと思ったことから、
本書の執筆が始まります。

感想

読み始めたときは、海外のSF小説を読んでいる気持ちになりました。

本に書かれているドナの世界は、とても現実のものだとは思えなかったです。

それほど、独特で特異な世界だと感じました。

自分の世界について、ドナはこのように説明しています。

そうして生まれてきてからも、愛情をはぐくんだり、

まわりの環境の意味を理解できるようになったりするための人との触れ合いが、できないのだ。

できないままに、子どもは何か欠けていると感じるものを、自分の中に創り出す。

自分の中で、自分が世界のそのものになるのだ。

ドナの世界

ドナの世界には、ドナ以外の2つの人格があります。

反抗的で悪い面を持つ「ウィリー」と社交的で礼儀正しい「キャロル」です。

自閉症の悲劇から、ドナを外の世界から守るためにつくられました。

仮面のようなキャラクターで、ドナの代わりに話したり対応します。

反抗したいときは「ウィリー」が、人と関わるときは「キャロル」がでます。

2つの人格によってドナは守られています。

このように、ドナは自分なりの、独特な工夫をして生きてきました。

ドナ・ウィリアムズの功罪

僕は「自閉症だったわたしへ」を初めて読んだときは、自分が発達障害者だと知ってからです。

ドナの独特な世界は、小説としても読めます。

優れた創作物としても読むことができます。

彼女の世界は、彼女ルールによって成り立ちます。

この世界のルールが多くの人と異なります。

ドナの内面からみる外の世界は恐怖や不安がある怖い世界です。

それ以外にも、美しいものをより美しく、輝くものをより輝く感受性もあります。

自分が感じたことを文章に落とし込むこともできます。

豊かな才能だと、僕は感じました。

「自閉症だったわたしへ」は、世界で一番知られている発達障害者の手記だと思います。

この本を読んだら、
発達障害は才能だ、個性だ、という人がたくさんあらわれると思いました。

僕は、発達障害を個性というのはおかしいと考えています。

個性という良い言葉で本質を隠して欲しくないと思っているからです。

だから、優れた作品であるほどに、ドナの罪になるんじゃないかと思ってしまったくらいです。

2回目に読んだときはとても素敵な本だと思った

半年ほど、時間をおいてから再読しました。

発達障害の診断を受けてから気持ちが落ち着いたこともあってか素直に読むことができました。

ドナの感じている孤独や寂しさ、悲しさは、とても胸うつものでした。

印象的な箇所を引用します。

電話の向こうでは陽気な音楽が鳴り響いている。

もし自分がそこにいたら、どんな気分なんだろう、とわたしは考えた。

一度でいいから、自分が何かの一部のように、

どこかの集団の一部のように、感じることができたなら、

それはどんなの気分のするものなんだろう。

生まれたときから、人と違うこと、どこにも属していない感覚を表現しています。

自閉傾向がある僕は共感することがたくさんありました。

また、本の途中には詩があります。

言葉の選びのセンスが素晴らしいです。

ドナはきっと詩人としても優れていると思います。

発達障害者は世界と戦わなければいけないのか

ドナ・ウィリアムズは本書に対しこのように書いています。

これはふたつの闘いの物語である。

ひとつは、「世の中」と呼ばれている「外の世界」から、わたしが身を守ろうとする闘い。

もうひとつは、その反面なんとかそこへ加わろうとする闘い。

どちらも心の内側の、「わたしの世界」の中で繰り広げられた。

さまざまな戦線があった。

数々の作戦が試みられた。

傷つき倒れた者たちもいた。

そんな闘いはもう休戦したくて、私はこの自伝をつづった。

もちろんわたしの側の言い分を曲げないことが、休戦の条件だ。

ドナは、いうならば、発達障害者のグレーゾーンです。

支援を受けれなかったり、もしくは自分がそうだと気づくことなく生きてきました。

周囲からの理解、医療的なバックアップをほとんど得ることができませんでした。

どうしても周囲との、世界との戦いになってしまうような気がします。

僕も十代のとき、あまりにも周りに馴染むことができなくて、
いつも誰かと戦っている気がしました。

ただ、大人なった僕は適応できているように見える定型の人も悩んでいることを知っています。

そして、戦うことにどれほどの意味あるのかな、と思ってもいます。

僕は戦うことよりも、自分の世界を守ることに価値があると思っています。

僕は僕の信条を曲げない。

だから、この世界は僕のことを放っておいて欲しいと考えています。

ドナの考えとほとんど同じです。

まとめ

「自閉症だったわたしへ」は素敵な本ですが、欠点もあります。

海外の翻訳本で、400ページもの厚みがあります。

海外の文化のため内容を理解することは難しいです。

読むのが大変かもしれません。

さらにドナが傷つき、苦しんだ場面も多くあります。

読んでいると息苦しくなるかもしれません。

それでも最後は「自分の居場所」を知り、「生きる力」を手にします。

この本にある色とりどりの言葉、解読するのは難しいような文章は、ドナの才能でもあります。

たった一つ言えることは、「自閉症だったわたしへ」はとても素敵な本だと言うことです。

もし、読んだことがなければ、ぜひ読んでみてください。

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